どうも、オノヨウヘイです。
いきなりですが、こちらはトルコ旅行に行った時にお土産さんに置いてあるUFOキャッチャーで一発ゲットした記念写真です。
最近、トルコの方と飲む機会がありまして久しぶりに交流してきました。
僕も観光旅行で行っただけなんですけど、日本とトルコの良い関係を学んでいたので意気投合でき楽しかったです。
ただ、その日本とトルコの関係を知らない方もいるかと思うので今日は、どれだけ素晴らしい絆なのかをお伝えします。
今日の関係を築くことになる、きっかけとなった事件です。
この頃の日本の皇族であった小松宮彰仁親王がヨーロッパ訪問中にトルコに立ち寄ったことから物語は始まります。
そのお礼にと、当時のトルコ国王アブドゥル・ハミト二世がオスマン・パシャを特使に任命し600人以上の使節団を明治天皇のために派遣してくれました。
エルトゥールル号が1年ほどかけ無事、任務を終えて自国に帰る際に事件は起こりました。当時のトルコには財政的余力は無く、エルトゥールル号はボロボロの木造船でした。それにより1890年9月16日、帰路の途中で台風に直撃してしまい今の和歌山県あたりで沈没してしまったんです。災難です。
この時に助けたのが和歌山県に位置する紀伊大島(今の串本町)の住民です。残念ながら助けられたのは69名でした。
けれど、島の人々は台風という悪天候と言語の違いなど難しい状況下の中でも、非常食や衣類を提供し献身的に救護を務めました。また、日本は国をあげて義捐金・弔慰金が寄せ集めました。中でも力を注いだのが「山田寅次郎」という人物です。彼は民間人として新聞社などの協力を得ながら全国を歩いて義捐金を集め、トルコに渡りました。ここで日本とトルコの大きな架け橋ができたのです。
簡単ではありますが、これがエルトゥールル号避難事件の概要です。
ですが、まだ裏話がありましてこれを聞くと改めて日本人の素晴らしさがわかると思います。
この事件も一度は聞いたことがある事件だと思います。
エルトゥールル号避難事件の4年前、1886年10月24日に場所同じく紀伊大島
あたりでノルマントン号が沈没してしまいました。
この船には23人の日本人船客も乗っていたのですが、ドレーク船長は日本人を誰一人として救出さずに全員水死しさせ、ボートで救出したのは一人の中国人コックを除いてすべてイギリス人ばかりだったんです。
もちろん、漂流した彼らを紀伊大島の住民は救助し、手厚く保護しました。
にも関わらず、領事裁判権(イギリス人に対する裁判権はイギリス領事にある)に基づき、ドレーク船長を含めた全員に無罪判決が下ったのです。
言い訳として「言葉が通じなかった」らしいのですが手を差し伸べるのに話す必要あるかよって思いますね。
その後、日本が告訴し、ドレーク船長に有罪判決を下されましたが禁固刑3か月、また死者への賠償金は支払われませんでした。
どう思います?この事実を知ると腹立たしいですよね。
でも、ここで言いたいのは過去にこんな無残な事件が起きていて日本人からしたら西洋人Fuck youの時代ですよ?
二度と日本に来るんじゃねぇ状態にも関わらず、エルトゥールル号の西洋人を助けたことが素晴らしくないですか?
しかも、偶然にも同じ紀伊大島の人々が。
この優しさ、気遣い、おもてなし心は昔から日本人には根深くあったんですね。
けれど、ここからが面白いところ。
この戦争は今から30年ほど前の出来事なので記憶に新しいかと思います。
戦争の内容は置いといて、この時、イラクには1000人ほどの日本人が住んでいましたが1985年3月17日、イラクの大統領サダム・フセインはこんな発言をしました。
「今から40時間後をタイムリミットとして、これ以降終戦までの間イラン上空を飛ぶ航空機は軍用機であろうと民間航空機であろうといかなる国の機体であろうとすべて撃墜する」
クレイジーな人ですね。
直ぐにイラン在住の外国人達は空港に向かいましたが、考えることはみんな同じ。飛行機は満席で多くの人達が取り残されました。
我が日本はどうだったかと言うと、自衛隊はまだ海外派遣禁止だったので行けず、さらに日本の航空企業は危険だと反対され行けず、迅速な対応ができませんでした。
その結果、空港には取り残された216名の日本人は恐怖に怯えました。
パニックの極みですよ。
そんな緊急事態に助け船ならぬ、助け飛行機を飛ばしてくれた国がトルコなんです。
取り残されていた日本人の中にイランの日本大使館の大使が残っていて、親交のあったトルコ大使館の大使に窮状を訴えたそうです。
すると、トルコはイラクとは隣国ですから直ぐに助けに来てくれました。それもタイムリミットの1時間15分前に。
このトルコの勇気のおかげで間一髪、日本人は全員、無事に成田へ届けられました。
これを僕は知った時、トルコに行くことに決めたくらいです。
もう感謝しかありませんよね。
最後に、イランの日本大使がお願いした時にトルコ政府がなんと言ったと思います?
「エルトゥールル号遭難事件の恩を返す時が来た。」
あの事件からは約100年も経っていたにも関わらず、エルトゥールル号の遭難の際に受けた恩義を覚えていることが震えますよね。
しかも、こんな危険なフライトにその場にいた機長、全員が名乗り出たそうです。
後にフライトを務めたオズデミル元機長はこのときの様子を次のように語っています。
「任務を辞退しようなどとは思いもしなかった。トルコ国民として日本人には親近感があった。日本人を愛している。このような任務がまたあれば、喜んでやるだろう」と。
僕が行ってわかることなのですが、トルコで「こんにちは」と言うと、みんな嬉しそうな顔をするんですよ。
ただの勘違いなのかもしれませんが、トルコ人は過去に起こった歴史背景をしっかり理解しているからだと思います。
今は行きづらいですが、日本のように義理と人情を重んじるトルコに是非、一度は行ってほしいです。
もちろん、自然や遺跡、ケバブも言うもでもなく素晴らしいですから。
今回の内容は、プロジェクトXや日本トルコ友好125周年を記念して両国合作の映画「海難1890」でわかりやすく映像化されていますので是非、確認してみてください。
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紀伊大島の住民の優しさがトルコとの友好関係を作り、イギリスとの条約改正に大きく影響したことは間違いありません。また、あまり触れられなかったのですが山田寅次郎さんや日露戦争の背景も今のトルコとの良好な関係を築きました。気になる方はもっと知識を深めてみてください。
優しい心って良いですね。
みんなも目先の損得じゃなく、困っている人が助けましょう。そう、終電を逃したと言ったら泊めさせる優しい器が重要なんですよ。
では、そろそろ始発が出るので帰ります。ギュリュシュリュズ。